2010年8月16日月曜日

引っ越しました


今までこのブログを見て下さった方々に感謝致します。
気分転換で作ったブログが気に入ってしまったので、引っ越しました。
http://jtjmakio60.blogspot.com/  です。 これからも宜しく。  中出牧夫

2010年8月14日土曜日

ハイビスカス

教会の玄関前に咲いた、ハイビスカス
数日前につぼみで買ってきたのが、
こんなに美しい花を三つも咲かせた。情熱的と言われるにふさわしい、真っ赤
神様への愛がこんなにも情熱的であったら………と思う。
道行く人がこの花の美しさに惹かれ、ここには映っていないが、
上の看板にも目を向けてくれたら………
「慈しみ深い神」 ペテロ第一の手紙2章1節~10節
歓迎伝道礼拝
こんなに美しく装って下さる神、蒔きもせず、耕しもしないのに。


2010年8月11日水曜日

久しぶりの孫二人

久しぶりに孫二人、ブログに登場
聖音はもうすぐ五歳、響は二歳を過ぎたばかりの腕白盛り、
細腕繁盛記ではないけれど、お母さんは細い体でよく頑張ってる!!どちらかというと、響の方が食欲旺盛
聖音は割と食が細い
この日はお泊まりの第一日目
一緒に昼食を……冷やしそうめん
聖音が食事のお祈りしてくれた。
下は、名(迷)カメラマン聖音が撮影


お母さんと響が帰ったあと、バーバとミスタードーナッツへ
みんなの分も買ってきてくれたが、早速かじりつく
ミスタードーナッツが大好き
レーレに教えてもらった逆立ち、すぐに一人で出来るようになり、
得意げに何度も・・・・・
「はい、頭を上げて」まだちょっと無理かな
こうして、孫二人、元気に育っていることを感謝。
イエス様の恵みと守りの中に、心も体も魂も
神様に喜ばれる人として成長してほしいと祈る。

2010年8月7日土曜日

サマー・バイブル・スクール

8月3日~5日に行われた、サマー・バイブル・スクール
人吉ともしび聖書キャンプ場
テーマ「すばらしい神様を知る」
主題聖句 マルコの福音書 16:15~16
『イエスは彼らにこう言われた。「全世界に出て行き、
全ての造られた者に、福音を宣べ伝えなさい。
信じてバプテスマを受ける者は、救われます。
しかし、信じない者は罪に定められます。」』
恒例の棒パン焼き
上田先生は初めてとのことで、楽しそうに焼いていた。
もちろん味も最高
恒例の棒パン焼き。講師の上田崇敦先生も初めてとのことで楽しく

バーベキュー・共に食する喜びを心いっぱい味わった。
朝、竹の間からこぼれる日の光、自然はいい、
早起きは三文の得

今回キッチンワーカーとして、食事を作って下さったご婦人たち
左から二番目は、別府の小川真澄先生
あとの5人は、熊本の面々
本当に暑い中有難うございました。
感謝あるのみ
※今回は熊本からの生徒の参加はなかった。
寂しかったけど、来年に期待する

その三ナザレン青年日

青年日礼拝においてメッセージを取り次いで下さった、
上田崇敦先生(kGK九州沖縄地区主事)
使徒の働き2章37~47をテキストに
「悔い改めて、洗礼を受けなさい」との主題で
洗礼の大切さ、信仰の出発点を強調された。午後、救いの証しをしてくれた、内田兄
辛い経験をしたけれども
神様が、彼をとらえて下さって、今を生かして下さっていることを
切々と語ってくれた。神様が完全な癒しと平安を与えて下さることを信じる。

賛美伴奏  清水香織姉妹

司会をしてくれた、津山友徳兄弟
午後の集会
午後はマタイの福音書7:14~27をテキストに
「人生の土台」についてご自分の証しを交えて
熱く語って下さった。
先生のお働きに祝福あれ

その二ナザレン青年日

我らが熊本教会を盛り上げてくれる若者、イエス様の恵みと祝福の中に
導かれますように。講師の上田崇敦先生の奥様と下のお嬢さん 真歩ちゃん

青年会を引っ張る勇士たち

上田崇敦先生の長女初穂ちゃん、みんなのお皿に果物を入れてくれる。
とても良く気のつく優しいお姉ちゃん………です。

我らが熊本教会の青年会長(左)木村百合香姉&津山智子姉
?肝心の上田崇敦先生は?カメラに納まらなかった???

ナザレン青年日8月1日(日)その一

青年日前日の土曜日・タコスパーティーで盛り上がる。
毎年8月第一聖日は、ナザレン青年日
今年もKSGK主事の上田崇敦先生を迎えて日曜礼拝&
午後の賛美集会(青年会主催) 美味しいタコスに御名夢中

久しぶりに、姉妹で参加
恒松知実姉妹が証し………部活のためなかなか礼拝には出られないが
聖書を読み、救われた(洗礼を受けた)といのことを思い起こし
信仰生活もしっかりと歩んでいきたい。
住専の時に与えられたみことばを実践することが出来るように。
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
全てのことを感謝しなさい
これがキリスト・イエスにあって神があなたがたに
望んでおられることです。(第一テサロニケ5:16~18)